おもしろい研究とは何か

前回の記事の註で生意気にも「つまらない研究」の例を挙げてみたら、その註についての反響が予想外に大きかったので、もうちょっと詳しく書いてみようと思います。

僕は高校で生物部に入ってから、生物学をいろいろ勉強するようになりました*1 。小さいころから生き物は好きだったのですが、教科書などを勉強することでさらに、機械としての生物のすごさに魅せられたのを覚えています。

 

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具体的に映像として想像してみてください、今この記事をスクロールしているあなたの手の中で、たくさんの小人さん*2 がごにょごにょ動いて、ナノスケールのテープ*3 に書かれた情報の翻訳作業に勤しんでいる・・・・・・。

これがあなたの手の中で、今まさにここで、起きているんですよ。

ほんとうにやばいSFだと思います。すごすぎる。
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そのまま大学に入って、まず最初のころに面白いと思っていたのは、たしかノンコーディングRNAとかだったと思います。講義かどこかで聞いた「機能未知の配列がたくさんある!未開拓の地!」みたいな割と曖昧な売り文句を鵜呑みにして、おもしろーい、と思っていたような気がします。

しかし、それも長くは続きませんでした。その後すぐに駒場の金子邦彦先生をはじめとする人々の影響を受けて、物理学者の言う「面白さ=非自明さ*4」みたいなのが、かっこよく見えてきてしまったからです。

http://www.utp.or.jp/images/book/305889.jpg

『生命とは何か 第2版』 - 金子邦彦・著:おすすめです!生き物の研究に興味のある人はみんな読んだほうがいいと思います!

 

・・・あ、でも、振り返ってみれば、もともと小さいときから(当時は自覚がなかったかもしれないけれど、)「なにかを理解する(説明できなかったものが説明できるようになる)」のが、好きでした。そういう人間が価値観(好み)を明文化しようとした結果、自然な流れで「わからなさが大きければ大きいほど、わかったときのうれしさが大きい」となった、ということで、ある種の必然だったとも思います。

さて、自分語りはこれくらいにして、万人に通用する価値基準に関する論考をはじめます。

 

 

 

 

・・・・・・などと尊大なことを言えるほど、僕はもう若くありません。*5

仮に「良い研究=非自明なことの解明」と考えるとしても、全員がそれを目指してしまったら、うまくいかないような気がします。実際には、色々な好みを持つ人たちが、各々の趣味趣向に従って動くことで互いに支えあっている、というのが現実で、なおかつ、これが結構うまくいく方法なんだろうな、と思います。

例えば、生き物マニアみたいな人が分類学をやって基盤整備をしてくれたり、地味な実験を昼夜問わずやり続けることに快感を感じる変態さんが基礎的なデータを蓄積しておいてくれることで、非自明に斬りこむ研究が可能になっているはずだ、ということです。みんなちがってみんないい*6 、ですね。

そういう中で僕は、即時の報酬が欲しい性格も相まって「わりとすぐに非自明なことの解明につながる研究」がしたいんだなあ、と思っています。

今後この価値観(好み)が変わることはあるんでしょうかね・・・?楽しみです。

ではでは。

*1:中学以前については初回の記事をどうぞ。

*2:リボソーム

*3:mRNA

*4:「非自明さ」には、二種類あると思います。「類似例の経験不足などのためにすぐには説明できないこと」と「説明が複雑になるために短時間では説明が大変なこと」の2つです。今回の記事では特にこの区別にはこだわりません。

*5:若いころには、「こんなにつまんない研究、なんでやってるの???」とか、余裕で言ってました。ごめんなさい。

*6:「いい」とは何か?・・・一般的には、学校や親などから教わる、みんなの快楽を増す、もしくは不快を減らすようにつくられたルールに従っていること。一次的な欲求・個人の経験/視野では正しく判断できないような場合でも、歴史に学んで作られたルールに従うことで正しい判断ができる、というすごい道具。もちろん、みんなが幸せになるのが不可能だったり、みんなのためにならない悪法が紛れてたり、色々難しいことはある。